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東京高等裁判所 昭和34年(く)75号 決定 1960年3月05日

少年 E(昭一八・一・二四生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の理由は別紙抗告申立書記載のとおりである。

所論は要するに原決定が少年はK、Fと共謀して、○原○一、○保○穂○から金品を強取したものと認めたのは重大な事実の誤認であり、また原決定の処分は著しく不当であると主張するものである。

よつて本件記録を調査すると、少年本人の審判調書、司法警察員に対する供述調書、Kの審判調書、司法警察員に対する供述調書、○原○一、○保○穂○、Fの各司法警察員に対する供述調書によれば、少年は昭和三十四年六月二十四日午後九時頃、K、Fと共に○原○一、○保○穂○を取り囲み、東京都新宿区○○○○××××○○橋ボート場より、同区○○○×丁目○番地○○○○大学校庭内に連れ込み、Fが○保○を右大学建物の裏側に連れ去つたとき、Kと共に○原を見張つていたものであり、その後大学建物裏の○保○のいる所へ行き、Kが隠して所持していた判示登山用ナイフを取り出すとそれをKから受け取り○保○に示して脅迫し、また○原に対しても「おとしまえを出せ」などと云つて脅迫していることが認められるから少年は右F、Kと共謀して恐喝行為を行つたことは明らかであつて、記録を調査しても原決定の認定は所論のように事実を誤認したものとは認められない。抗告人は少年は単にF、Kに連いて行つただけで喧嘩の仲間には入つたことなく金品を強取する行為には全く関係がなかつたものであると云うが、原決定は右事実を強盗とは認めず、恐喝と認めているものであり右認定は前記のように相当と認められるから、右主張はこれを採用し難い。

次に原決定の当否につき調査すると、原決定の認めた少年の非行事実は前記の恐喝(銃砲刀剣類等所持取締法違反の点を含む)の外、窃盗三十三件傷害二件賍物牙保、賍物故買、賍物収受各一件の多きに上り犯行時は昭和三十三年六月頃より昭和三十四年六月の間に亘つており、警察署に検挙されたことは七回に達しているのであつて、右窃盗傷害、賍物に関する犯行当時少年は不良の友人とグループを作り、素行が善良でなかつたことが認められる。そして少年はこれらの事実について昭和三十四年五月二十二日審判の上試験観察に付されたものであるが、その後間もなく前記恐喝等の非行に出たものであつてその犯情も必ずしも軽微なものとは云い難いのである。これらの非行を通観すると少年の非行性は相当高度のものと認められ、本人の性格、その生活環境等を考慮し、少年の健全な育成を図るため少年に対し原決定主文記載のように矯正教育を施すべきものとした原決定の処分は所論のように著しく不当なものとは認められない。

よつて本件抗告は結局理由がないからこれを棄却することとし少年法第三十三条に従い主文のとおり決定する。

(裁判長判事 坂井改造 判事 山本長次 判事 荒川省三)

別紙 (抗告申立書)

少年 E

右の少年に対する強盗保護事件について昭和三十四年七月十一日東京家庭裁判所がなした中等少年院送致決定は左記の理由により不服ですから抗告を申立ます。

理由

一、右少年は都立○○商業高等学校定時制第二学年在学中であり、来る九月一日の二学期よりは全日制高等学校に通学させ通常の教育をさすべく決め、右少年も本人自身これを希望し喜んで居りました。

二、すると昭和三十四年六月二十四日午後八時半頃新宿区○○○○のボート場に於てボート遊び中、相手方五名(二艇のボートに乗舟)の内三名乗りのボートが右少年等のボート(三名乗り)に衝突しましたところ、口論となり相手方等より陸に上り、話をつけたいというので、相手方等五名の内二名と右少年等三名は連れだつて同ボート場の近くの○○大学附近の道路上に於て喧嘩となつたものであります。

三、ところで右少年は他の二名と共に一所について行つただけであり、右少年はこの喧嘩の仲間には入らず又強盗等何等この件には関係せず、ただその時友人の小林が「ナイフ」を持ち出したので危険と思い、それを同人より取上げて持つていただけであります、従つてこの「ナイフ」で脅したりした事は全然ありません。

四、右少年は前記の通り来る九月より真生面勉学にいそしむ決心でありますので、少年院送致は本人の将来のため憂慮すべき次第でありますから、御寛大なる御処分を以て右少年を帰宅させて下さる様お願します。

右少年の少年院収容は絶対に承服出来ませんので事実調査をお願いたします。

(昭和三十四年七月二四日 新宿区○○町○○番地 保護者 父B)

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